モルヒネ(仮)

自分の半生を振り返るためのブログ

小学生入学直後

昭和55年4月、小学校に進学。

入学式のことは何故かよく覚えている。幼稚園とは違う建物、大きな文字で書かれた入学式という看板。僕は、ベビーブームの子どもの世代だったのでクラスも多く、一学年で6クラスとかあったと思う。子どもの自分は、それだけ多くの人を初めて見たので、それで覚えているのかも知れない。桜が咲き誇っていた。

相変わらずぼーっとした子どもだった自分は、ここがどういう場所なのかちゃんと理解をしていなかったのだろう。親から「これからはテストとかがあるんだよ」と聞かされたような気がする。ぼーっとした子どもだった僕は、ぼーっとはしていたものの「これから毎回、テストで100点とれば東大に行けるかも知れない」だなんて、頭がいいのか悪いのかよく分からないような・・・やっぱり悪いのだと思うんだけど、無邪気にそんなことを思ったのを覚えている。

しかし、そんなことを思いながらも、僕は小学一年の夏ぐらいまで自分の名前をちゃんと書くことが出来なかった。漢字が書けないという話ではなく、平仮名で自分の名前を2回に1回ぐらいは間違えるような頭の悪い子だった。

 

人間関係は相変わらずギクシャクしていた。同じ幼稚園から同じクラスに入った子もいたものの、その子たちは器用で他の子たちとすぐ仲良くなって、自分はハブられていたように思う。たまに話しかけてはくれるのだけど。

結局、小学三年まではそんな感じの人間関係が続いて、人と話したり、遊んだりするのはどうにも苦手だった。だから、そんな大したエピソードもないのだけど、小2の時にこんなことがあった。

 

国語の授業を受けていて、僕は話半分に聞いていて、恐らくそれが顔にも出ていたのだろう。急に先生に「この時の主人公の気持ちは、何だったと思う?」と聞かれた。正直、何にも頭のなかにはなかったのだが「この主人公の飼っていた馬が死んで、悲しいと思ってると思いますが『馬は自分の心の中で生きている』と思ったんじゃないかと・・・」というようなことを適当に答えたら、先生にえらいウケが良くて。絶賛されたのを覚えてる。あまり人に褒められたことがなかったので、記憶に深く残ってるのだろう。それぐらい何もなかった。

 

あと覚えているのは、クラスに一人美少女がいて、クラスの男子全員がその子のことを好きなんじゃないかってぐらいの人気だったんだけど、言っても小学二年生なので好きさ余っていじめてしまうというか。そういう目にその美少女は遭っていた。

小2だと体育の授業の前は男女関係なく同じ部屋で着替えるんだけど、夏の水泳の授業の前も当然同じ部屋で着替えるわけで。体操服に着替えるぐらいなら、その年ならまだ何ともないんだけど、水着となるとさすがに照れる女の子も半分ぐらいは居て。

その美少女の子は、水泳の着替えの時に男子5人ぐらいに取り囲まれ、じろじろと凝視され、たまりかねた彼女はトイレに退避して着替えたのが、あとでちょっと問題になったことがあった。じろじろ見る男子が叱られたのではなく、教室以外の場所で着替えた美少女の子が注意を受けた。今だったら、もうちょっと違う風に言われてたんじゃないだろうか。

僕は、当時はまだ性欲って自覚的ではなかったけど、今にして思えばその男子の中に混ざりたかったと密かに思っていた。やっぱり性的に早熟だったのかな。

 

 

幼稚園の想い出

前の記事で「小学生に入学することになる」と最後に書いたけど、幼稚園時代のことで書き忘れたことがあったのを思い出した。

 

入園直後からずっと一人で過ごしていて、途中で親にそのことを知られてしまい、自らの望まない人間関係のなかで生きていくことになったんだけど、こんな自分でも積極的に人とコミュニケーションしようとしたこともあった。それは、先生のスカートをめくるという行為だった。どういうきっかけで、それを始めたのかは覚えていない。たぶん最初にめくった時に怒られなかったんだろう。それからというもの、毎日のように先生のスカートをめくってたように思う。

ある日、先生同士が園児がいない場所で「あの子、いつもスカートめくりしてくるでしょ?」っていう会話をしてるのを聞いたことがある。「あー、嫌がられてたんだ」ってその時に初めて知って、それからは毎日のようにはしなくなったんじゃないかと思う。

 

後で書くことになると思うんだけど、自分の人生って性欲とは切り離せないようなところがあって。こうやって振り返ってみると、今にも至る異常な性欲とでも言うべきものの片鱗がこの時期に既に見えてたのかも知れない。

しかし、このスカートめくりという行為にしても最初に嫌がられなかったという事実が、自分にとってはデカかったように思う。誰も友だちがいないことを知った母親がママ友に連絡して、半ば強制的に友達ごっこをやらされたんだけど、その時の仲間に歓迎されて迎え入れられてたら、自分は幼稚園生の頃から人間関係に苦手意識を持たなかったんじゃないかと。

でも、他人のせいにするばかりでなく、その時の自分にも過失はあったのだろう。

僕は幼稚園に入る前は、父親と母親に甘やかされまくってたと聞いたことがある気がする。三歳になっても母乳離れが出来ず、母乳のせいで(?)乳歯はボロボロだったと聞く。

うちの親は戦後の第一期ベビーブームの世代と言うのかな?そんな世代だったので、もろアメリカンファミリーなるものの影響が大きかったというか。一軒家を買って、犬を飼って、日曜には家の前で車の洗車をして。たまの外食もあって、子供は自由に育てたい。個性を伸ばして、育てたい・・そんな価値観を大多数の人が持っていた時代に生まれ、そのような育てられ方をして。同じように影響を受けてても、個々の家で違いはあるのだろうが、自分は長男で、親戚一同の中でも初めての子だったということもあって、よその家よりは甘やかされて育ったんだと思う。

それが、幼稚園という家族以外の社会に出て、自分の思い通りに行かないことに釈然としてなかったところがあったんじゃないだろうか?だから入園当初、自分から誰に話しかけるということも無かったんじゃなかな?と今にして、思う。

 

僕は、そういう甘ちゃんだったので、他の園児に対して強く言うということが出来ず、かすかながらあった園内の人間関係はというと、いじめ・・まではいかなくとも、上から目線で色々と言われることが多かった。

だから園内では大人しく過ごし、先生のスカートだけはめくり、それで家に帰ったら我が物顔で偉そうに振る舞ってたような記憶がある。

 

ちょっと大袈裟な言い方をすると、社会に馴染めないまま、その後小学校に入学することになる。

はじめに

今までこの場所に自分の人生を振り返るブログを書いてたのですが、途中からどう書いていいか分からなくなってしまって。それでブログの更新をストップしていました。

ところが最近、中原昌也の「死んでも何も残さない」という自伝本を買いまして。

死んでも何も残さない―中原昌也自伝

死んでも何も残さない―中原昌也自伝

 

 まだ読み始めて間もなくて、読み終えてもいないんですが、文体が非常に良くて。彼の著作はすべて読んだわけではないですが、いつもは自分がいかに冷遇されているかを切々と訴えるという、読む側は鬱々となるようなものをあえて書いている人というイメージが自分にはあって。

そんなわけで彼の著作からは遠ざかっていたのですが、ひさびさに彼の新作を手にとって読んでみたところ、文体が変わりまくってるというか。芸風が変わったとでも言えばいいのだろうか。今までとは違う、ある意味やる気を放棄したような軽さのある文体で、自分のことを振り返って書いていて「あ、この書き方だったら、ここでやってたブログの内容をまたやり直すことが出来る」。そう思って、ひさびさに更新してみようという気になりました。

 

いつまで続くか分かりませんが、よければ読んでもらえたら嬉しいです。

純粋に自分の半生を振り返りたいだけだったら、それはノートか何かに書きますからね。やっぱり何某かのリアクションを期待する気持ちは、薄っすらとではありますが抱いていますので。

 

前回は「人生失敗の手引」というタイトルでやっていましたが、ちょっとそういう自虐的なのは自分で書くにしても疲れてしまうようになって。あと、自分は五年ほど前に職場の人間関係を理由にメンタルヘルスの調子を崩しまして。

そういった病気を治す方法は、大きく分けて2つあると聞きます。ひとつは投薬メインの治療。これは月一ていど病院へ行き、医師がカウンセリングと称した日常生活の聞き取りを行い、そして病状にあった薬を処方し、薬で心の痛みをやわらげながら時間をかけて治療していくというもの。

もうひとつは、カウンセリングメインの治療。これも薬は使うんですが、あくまで補助的に使うのみで、メインは医師の行うカウンセリングという、さっきと同じ言葉を使ってますが、こっちは対話がメインになります。詳しい説明は端折りますが、ウディ・アレンの映画に出てくるような、カウチで横になりながら、何でもない話を医師と淡々と、定期的に繰り返す。そして、患者の深層心理にあるものを探る。探って、自分が何故いまのような状態になったのかを認識する。こんな感じの治療です。

 

僕が前に書きだしたブログでやりたかったのは、まさしく2つめの治療法をブログを使ってやれないかという実験だったのです。

しかし、客観的に自分を見つめなおす作業も難しければ、世界中から閲覧可能なネットという場所で、どこまでプライベートなことを書いて問題ないのかというのも難しく感じられ、また当時の自分は今より凹んでたということもあり、それがますます文を綴るにあたってのハードルを高くしていました。

 

当然、ブログという場所なのですべてをあからさまに書くわけにはいかないのですが、気軽な感じで続けていけたらと、そう思ってますのでよろしくお願いします。